ファランクス
-首都防衛戦-
10. 海兵隊合流<六・一六>
(II)闇
風は空を引き裂かんばかりの音を立てて、吹き荒れている。
倉庫にたどり着いてみると、何者かの気配がした。
数を数えることはできない。が、雨滴の中に金属がこすれ合う鈍い音がした。
従軍してからは嫌というほど聞いた音だ。間違うわけがなかった。
「せいしっ……」
途中まで言いかけて、はっとして口をつぐんだ。
佐祐理は刃の鈍い光を目にしたのだ。
耳を澄ます。泥土を強く踏み込み、重い刃を振り下ろす。
重金属が激しくかち合った。
倉庫の前で複数名が抜刀し、槍を構え、誰かを取り囲んでいる。
刃傷沙汰か。
囲まれている一人が棒切れのようなものを上段に構えている。
「賊め」
その一人がはき捨てた。
長身でそこにいる誰よりも背が高い。
探している二人のうち一人、相沢中尉だった。
父はこの男を高く買っていた。寡黙だが恐ろしく腕が立つ。
相沢中尉がいるだけでその場の空気が引き締まるのだ。
従兵として軍議の手伝いをしたことがあり、牟田口中尉などは調子の良い事を言って敵を軽んじ独断専行もじさない気配。
相沢中尉に温和な口調でたしなめられると素直に従った。
牟田口ら好戦的な将官の暴走への抑止力となっていた。
前線指揮官として未知数だが、まったくの無能であれば彼らが言うことを聞くはずもない。
「どこの手の者だ。言え!」
相沢中尉は返事を待った。
賊は無言である。ジリジリと距離を詰めていた。
「では」
その時、雨が一瞬止む。白んだ空に照らされて相沢中尉の凶相が浮かび上がった。
「斬り殺しても構わないな」
陣所で見た温和な表情は消えていた。代わりに陰惨でかつ、楽しくてしょうがないという目だ。
佐祐理は初めて人を怖いと感じた。
「春仁殿に頼まれたか?
兄は臆病だからどんな手段でも使う男だが、暗殺はもっとうまくやるぞ」
中尉が言う兄とは誰のことか。
相沢中尉は一気に距離を詰めることもなく、普段と変わらぬ様子で歩く。
そして溜めていた息をすっと抜き、腕を打ち下ろす。
賊は目の前にいることに気づいたときには自分の額が割れて、激しい痛みを感じるとすぐ意識が消し飛んだ。
「兄ならばここに私がいることを知っていたはずだ。
情報を極めて重視する男だ。このように雑な襲撃をしない。
君たちは兄の使いではないな」
歩く。突く。
歩く。振り下ろす。
歩く。槍をわきに抱え刀剣の柄を強打する。倒れた相手の鎖骨に足をかけ、もう片方の足で首を踏み折る。骨が砕ける嫌な音が響く。
歩く。敵に囲まれ羽交い締めにされる。刀剣から手を放す。バンザイをして腰を落としたかと思えば、即座に腰を背後の体に密着させ重心を下げて揺り落とす。膝をついて拳を作って地面に転がる相手の顔面を殴りつける。
歩く。地面に転がる刀剣を拾い上げる。腰を低く落としスネを払った。足を封じるつもりが切れ味が鋭すぎて骨ごと切断する。
格別早いとは思わないが、ゆっくり丁寧にひとりずつ仕留めている。
佐祐理は気分が悪くなった。
人が人の手により殺される場面を初めて見た。
生々しいのだ。
戦いはもっと誇りがあって、もっと格好良いものだと思っていた。
相沢中尉の戦い方はゆっくりで無駄がない。だが、舞踊とは全く異なるものだ。手近な物を拾い上げては投擲し、あるいは殴りつける。そして躊躇する様子が全く見られない。
歩く。相手が剣で突く。脇に避け手首をとって返す。地面にたたきつけられた痛みで呻くのも構わず脇腹を蹴る。工兵が残した大円匙をつかみとって顔面に向けて振り下ろした。もう一度振り下ろしたときには既に事切れている。
こんなの戦いじゃない。
ただの嬲り殺しだ。人の命を奪うのにもっと綺麗な方法があるはずだ。佐祐理の理性がそう叫ぶ。
歩く。佐祐理の目の前に相沢中尉が立っていた。
足を切られた男が苦悶する声を背に、頭蓋を叩き割ったおかげで大きく凹んだ大円匙をひきずったままだ。
歩く。佐祐理に手を差し伸べ、凶相のままにっこり笑って言った。
「君、無事か」
佐祐理の顔は恐怖に歪み、思わずその手を払いのけてしまった。
手袋が雨と血で汚れ、歯の一部が刺さっている。
相沢中尉は払いのけられた手のひらを見て、「すまない」とつぶやいた。
「サブローさん」
と、女性士官が相沢中尉の名を呼んだ。
「何か聞き出せたか」
相沢中尉は、止血のため賊の膝を縛る女性士官に向かって言い放った。
「いえ、意識が混濁して話が出来る状態ではありません。応急処置を急ぎます」
「……おう」
佐祐理は周囲を見回して父の姿を探した。
「相沢中尉。誠四郎様……いえ、司令官を知りませんか?」
父の姿が見つからないので、相沢中尉に声をかける。
ゆっくり振り返ると、凶相は消えていて、代わりに普段と変わらぬ偽善的な笑みを浮かべている。
「司令官殿はお戻りになられた。行き違いですよ」
[0回]
PR