B1-2
一番艦「天」が就役したとき、海軍ではある噂がまことしやかに流れた。
噂というのはこうだ。
エイギル大佐(現艦長)が女に入れ込んでいる、それも極上の美人にたぶらかされたというものだ。
誰もがまさかと思った。何せ、エイギル大佐は公私共々堅物として知られている。
艦長クラスになると従兵を比較的自由に選ぶことができるたが、エイギルは昔の慣例に従って若年兵を選んでいた。
条約のおかげで慣例を守るものは少なくなったが、エイギル大佐は律儀に守っていた。
早くに妻を亡くした彼は男やもめだった。彼は再婚のすすめを頑なに断り、亡き妻への操を貫いていた。
だが、そのエイギル大佐は変わった。『天』の艤装委員長をしていたあたりからおかしくなった。
具体的には毎日、一八歳ぐらいの銀髪赤眼の女性を連れて仕事をしているのだ。
軍服を身につけていればまだ従兵か、個人秘書か何かと考えることもできたが、その女性はあえて言うなら魔導師のような格好をしていた。
エイギル大佐の顔つきも変化した。
いつも自らを追い詰めるような厳しい表情だったのが、笑顔を見せるようになった。
食事も基本的に一緒に取っている。
艤装が終わり、無事進水式を終えたときも女性の姿があったという。
(回想おわり)
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「シグナム、わたしの顔どーなっとる」
「飢えた狼です」
従兵は率直な感想を口にした。
「シグナムは堅物やなあ。どこぞの大佐みたいにもうちょっと柔らかくならんと男がよってこーへんよ」
「今は仕事が恋人ですから」
「うわ。本気でつれないなー思った。悲しいなあ」
はやては最近従兵の自分に対する扱いが雑になっているように感じていた。
ちょっとからかってみると、即座に身をかわし、斬って捨てられる。お茶目な会話のキャッチボールが成り立たない。
しばらく自重する必要があった。
「あの……おねーさん?」
白い少女が心配そうにはやてを見上げる。
先ほどの従兵との掛け合いでだらしない表情は陰を潜めており、端から見ると海軍大尉夜神はやてに切り替わっていた。
しかし従兵は、夜神はやては「おねーさん」と呼ばれることに悶えていた、と断じていた。
ふと、エイギル大佐もこれにやられたのか? と考えた。
目前の少女は、大佐の傍らにいる女性の容姿を幼くしたものと捉えることができた。
それだけよく似ていた。
「もう大丈夫。変なところ見せてしもうたな。わたしは夜神はやて大尉。今日付でこの船の艤装院委員長を拝命した。こっちはわたしの従兵、シグナム少尉や」
「シグナムだ。よろしく」
「よろしくですっ!」
白い少女はきちんと背筋を伸ばして敬礼しつつ、元気よく答えた。
「ええと、君は?」
シグナムは少女に名乗るよう求めた。
敬礼の際に脇を小さく折りたたんだ仕草からして、海軍の人間に教育を受けたと考えられたこともある。
だが、素直に正体が気になった。
「リィンフォースⅡです。この船の管制人格です。艦魂とも言いますね。リィンって読んでください」
管制人格。
その言葉にはやてたちは身構えた。海軍の最高機密だったからだ。
はやてが伝え聞いたところではまだ研究中とのことだったが、もう実用段階まで漕ぎ着けていたのか、と。
少女があまりに軽く言い放ったので、拍子抜けしつつも戒めるように言った。
「管制人格は、機密やで?」
「大丈夫ですよー。ここの機密は下手な軍施設よりも厳重ですっ。
翼竜さんの交易コースからも外れているので安心してくださいっ」
少女の言葉は的を得ていた。
機密を秘匿するために、この造船場は『内陸』にある。
世間では、準L級の船体を建造できる造船場は『天』を造った河川沿いの1カ所だけということになっていた。
わざわざ内陸に造船場を作ったのは機密を守りつつ、翼竜による上空からの視認を防ぐためだ。
「ちょっといいかな」
シグナムが割って入る。
「はい」
「リィンにはお姉さんがいないか? 少し前に『天』の観閲式で君とよく似た女性を見かけたんだが」
「姉をご存じなんですか!?」
「直接の面識はない。知り合いの大佐が君のお姉さんと連れだっていてね。えらく親しそうだったから気になったんだ」
「エイギルおじさんにはよくしてもらってるそーですよ。前に姉がきた時に嬉しそうに話してくれましたよ」
「そうなんだ。よかった」
シグナムは確信する。エイギル大佐を変えたのはこの子の姉だ。
「さて続きをいいますね-。この船の主動力源は風です。
従来おまけだった帆を改良して、調子がいいときは一階梯漕手三〇並の速度が出ます。風がないときは魔力で動します」
「舷側のオール穴は何のためにあるんや」
「条約遵守のためのブラフです。いざという時はオールを捨てます」
「漕手は必要ないってことか。でも、ブラフとはいえ条約を守るために漕手を載せるんやろ?
人員としては無駄やないか」
「大丈夫ですよー。姉が言うには『書類上は漕手が乗っていることにするか、兼任させている』だそうです」
「漕手が少ないのはなあ」
「この船は帆が主で、人力が従ということになってます。大人の事情でそうなったそーです」
真実は帆が主、魔力が従である。条約の抜け道を模索するための実験艦なのだ。
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