ファランクス
-首都防衛戦-
1. 別離
父の言葉は、思いがけぬものだった。
「祐一。今からサブローおじさんのところへ行け。そしてもうこの家に帰ってくるな」
はじめは何を言わんとしているのかわからなかった。
父は直立不動の姿勢のまま、祐一を見下ろしている。
昨日、涙を見せた男の顔は唇を噛みしめ、身を震わせている。
「聞け。オレは明日出立する。しばらく仕事で家には帰らない」
すでに戦争が始まっていた。
資源を手に入れるための戦争だった。
父が言うにはこの国にはもう資源が枯渇してしまっているという。
向こう数年で掘り尽くされ、しかもなんとか採掘できた鉱物は質が著しく低下して売り物にならない。
今のところは、備蓄していた採掘資源を外貨に替えていたが、その手段が失われつつある。
だが、祐一にとって、いや彼を含めた一般市民にとっては今の生活がずっと続くものだと考えており、まだまだ別世界のことに思えていた。
隣国に戦争を仕掛けるほど深刻な状況なのだが、生活に対して目に見える形で具体化するのはまだまだ先だった。
だけど、何でサブローおじさんの子供にならなきゃいけないの?
そのとき、壁がじりじりと震え渡り、甲高い猛獣が空に鳴き声を響かせる。
祐一が窓から空を見やると、翼竜<高山種>が美しい姿態をしならせ、空に舞い上がっていった。
思わず見とれていると、
「あれを三十頭連れて行く。
我が方は相当の戦果を期待しているが、敵はその三倍連れてきている。
飛行能力に劣る火山種とはいえ、難しいな」
高山種はこの地方特産の翼竜だ。
高山に生息するため、上昇力にすぐれ飛行速度が早い。
その代わり小回りが効かないので、竜使いにとっては扱いづらい種だ。
一挙に三十頭も投入するというのだから、軍の決意のほどが表れていた。
「今回の仕事は国運がかかっている。
成功させるためにあらゆる努力を払ったが、もしオレが帰らなかったらこの国は」
飢える。と、父は静かに言い放つ。
淡々と告げた言葉に、心臓を、ぎゅっとつかまれたような気がした。
父は現状を正しく認めていた。
祐一は
「飢える」という感覚が分からなかった。
生まれた時すでに父は国軍に奉職していたし、一度も食に困ると言うことはなかった。
父はそれを知っている。
頬が強ばっている。
責任が重い。重すぎる――国をしょって立つには父の背中は小さすぎた。
それでも、もう少し晴れやかな顔をしてもいいと思った。
国境いに向けて進撃する敵国<北華>を叩くのだ。
近々行われる出陣パレードではみんな笑顔で送り出すつもりにもかかわらず、父の顔は送り出される者の顔つきではなかった。
心配する祐一に、父は付け加えて言った。
「安心しろ。オレは帰るよ。
今回は幸村先生に、岡崎たちがいる。
ゾレアン殿に、『魔法使い』殿も協力してくれている。
オレは勝てる戦しかしない」
にい、と笑う。口の端を無理矢理つり上げて、ぎこちない笑顔を作っていた。
面くらった。父はこのように笑うのだ。
いつも家でははにかむような笑みしか浮かべない男が、息子を勇気づけるために笑う。
出征する男が見せた精一杯の強がりだった。
「帰ってくるの?」
祐一は、詰め寄った。
父は柔和な顔をした。口元にはぼやけた笑いがにじんでいる。
本心では逃げ出したいと思っていたのに、もちろんさ、と父は答える。
「勝つ方法はちゃんと考えてある」
それは事実であった。父は軽々と精神論を口にするような男ではなかった。
しかし戦争をしている相手はもっとも豊かで、もっとも人口が多い国だ。
人口はおよそ5倍以上の差があった。
豊かであることは兵士の質にも影響を及ぼしており、彼の国の陸軍戦力は最良の装備と兵士の質を保っている。
国民皆兵にしてなお、人口の差は兵力の差を埋めきれるものではなかった。
だが、それにしても父は絶望に染まっていない。
「でも」
父は言いかける先をさえぎり、押し被せるように言った。
「必要なのは、知恵と勇気と努力と後は運があるかどうかだ。
祐一、オレはね。
北華を出し抜いている自信があるんだ。国王も信頼しておられる」
その後他愛のない話をしてから祐一は急き立てられるようにして家を出た。
既に荷造りがなされ、準備万端の様子だった。
去り際に見送る父を振り返った。
父は祐一を見て、
「じゃあな。元気にしてろよ」
と、言った。
思い切り手を振った。
名残惜しむように、手を振り続けた。父の姿が小さくなった。
父と交わした最後の言葉になった。
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