風が肌を過ぎる度に、背筋に悪寒が走るのを止められない。
敵は強大。数に勝る自分たちにたった二人で立ち向かう反則的なモンスター。
膨大すぎる魔力が体外にあふれ出て、観測した計器の針が振り切れて、畏怖と似て異なる後ろ向きな気持ちに食いつぶされそうになる。
怖い。身が竦む思いだ。
何度も同じような局面に立ったけれども、慣れろ、と言われてその通りにできるものではない。
だから恐怖を押しのけるしかなかった。
「アリスはエクゼをサポート。ジルはわたしの補佐を」
ヒバリが全員に念話を放った。
「了解」
アリスは返事をしてからエクゼの許へ向かった。
「一人ずつ敵を倒すのが理想だけれど。相手はAAAランク、唯一太刀打ちできるサイレンがいない。わたしは片方をこの森に誘き寄せ、敵の連携を断つ。それ以降は個々に対応するしかない。それから、何度も言ってるけどデータ収集が目的――不利となれば戦闘を止め後退し、必ずデータを持ち帰れ」
「了解した」
エクゼが返事と共に飛行魔法を発動させ、身体を宙に浮かせた。
ヒバリがジルを肩にのせて、エクゼから離れるようにして山を下っていった。
依然として足取りは重く、憔悴しきっているようだった。
体力はほとんど回復していなかった。
いつものヒバリならば戦いを避けるはずなのだが、このとき彼女はある種の予感を抱いていた。
「外から覗かれないように結界を準備するね」
ジルが腕に抱きつきながら広域結界を構成していく。もちろんすぐには発動させなかった。
相手の出方を見ようとジルが上空の魔導師へと視線を向けた。
エクゼとアリスが宙に鎮座し、魔導師の到着を待っていた。
遠目に見ても、兵装の拘束が解除されているのがわかる。
エクゼの右肩にある円筒形タンクのフタが開いており、両手には漆黒のショットガンが握られている。
アリスは槍型デバイス《ランドスピア》の柄を長く伸ばした。
その先端では魔力が流れ込むことによって金属分子が微弱に震動し、穂先がエンジ色に輝いていた。
ヒバリのセンサーでも彼らの姿が捉えられているはずだったが、彼女は一瞥しようともしなかった。
散開して戦域の密度を少しでも下げる必要があったからである。
視界に投影された姿に、ヒバリが足を止めた。広域結界の展開を終えたジルが不審そうにヒバリを凝視した。
ヒバリが驚いたのも無理はなかった。二人の魔導師が子供の姿をしていたからだ。
そう、彼女はもう少し歳の行った者が来るものとばかり思っていたのである。
本来ならば戦いに出るべき年齢ではない、ヒバリが手を伸ばしても絶対に届かない場所にいる少女達。
ジルは、魔導師を自分の目で見て納得したらしく首肯してみせた。
そして念話で囁く。
「嘘みたいかもしれないけど、あの子たちで間違いないよ」
ヒバリは唖然として、ジルの声を聞いていた。
彼女の驚きにはもう一つの理由があった。
「あ、あ、あ……アリシア……」
既に亡い少女の名を呟いていた。
ヒバリの知るアリシアと瓜二つの少女がいたのである。
祖父に連れられてプレシア・テスタロッサを訪れたとき、一度だけ会った女の子。
アリシア・テスタロッサ。
ヒバリも幼くてほとんどの記憶があやふやとなっていたが、その笑顔だけは覚えていた。
そして、アリシアと同じ顔の少女は引き締まった顔つきでエクゼ達を見据えている。
ヒバリは坂を半ば下ったところで停止した。
かろうじて大人ひとりが身を隠すことのできる窪みを見つけ、そこへジルを下ろした。
夜光を遮るように寄り添って膝をつき、全身からにじみ出ていた淡い燐光が消えると、ヒバリは機工服の維持をリアクターに任せた。
上半身の拘束を解いて身を乗り出し、枝を大きく広げた木々の合間から夜空を見上げた。
冷たい風が通りすぎる。
薄らと立ちこめる森の芳香を一杯に吸い込んで、アリシアに似た少女を見据えた。
「あのデバイスは……斧? トマホーク? ハルベルト? ああ、みんなおんなじ斧だったっけ」
彼女の持つデバイスを見て思わず口ずさみ、
「金髪の綺麗な子なんだけどさ。接近戦が得意なタイプに見えるんだけど、どう思う?」
と答えを求めた。
ジルは首を伸ばして、しきりにぴょんぴょん飛び跳ねている。
ヒバリが気づかないので仕方なく機工服によじ登って、背中を思い切り叩いた。
「痛っ!?」
「……みえないの」
思わず振り返った先には不機嫌に尖ったジルの唇。
僅かな間、キョトンとしていたヒバリだったが、にやにやと口元を緩めてから再び空へと目を向けた。
「で、どう思う?」
「肌の露出が多い分、防御性能に劣るんじゃないかな。接近戦で押してくるタイプ――ヒバリの好きなタイプだよね。拳を合わせるの好きじゃない、ヒバリって」
「無理。今の状態はもちろん、絶好調でも無理。まともにやっても、やらなくても絶対勝てない。生き残れない」
「じゃ、隣の硬そうなのとやり合うつもりなの?」
ヒバリが頷く。
「だったら、ヒバリは自分の戦いに専念して。……それと、他にやることはあるのかな」
「ある。狭いやつでいい。結界をもう一つ用意して」
それを聞いてジルが窪みへ戻った。
ライプニッツを起動し、言われたとおりの魔法を用意する。
ヒバリは目蓋を閉じて大きく呼吸した。
外部への感覚を閉じて魔力の精錬に集中した。
ヒバリは真っ正面からやり合う気持ちがまったく無かった。
だから準備をする。少しでも自分が有利となるように。
この世界固有の物理法則、意思の介在、脳における魔力を閉じこめたフタを取り去り、洪水のように溢れ出した方程式を言語に置き換えた。
「ガイドシェルを生成し、展開する」
蛍の灯火を思い起こさせる小さな魔力の塊を造り出した。
彼女の周囲には鈍い藍色の塊が転がった。その数、百個に及ぶ。
「あの守りを破るには、ちょっと足りないかな」
ヒバリが天を仰ぎ、高町なのはの勇姿を捉えていた。
機工服の上半身が彼女に覆い被さって、再び傀儡兵の姿に戻った。
その頭上ではエクゼと少女達による言葉の掛け合いが行われていた。
しかし形式的なものだった。
エクゼは極めて機械的に応じようとし、アリスは沈黙を保っていた。
心がないロボットに問いを発しようとも、返事がないのは道理である。
少女達の表情に変化はない。おそらく担当官から破壊指示が出ているのだろう。
傀儡兵自体を壊そうとも、核である疑似リンカーコアさえ回収すれば製造元を割り出すことができるのだ。
エクゼはコップの水をぶちまけるように発砲した。
静かな空を引き裂いたような音だった。
フェイトが前に出る。なのはがスフィアを展開し、詠唱に入る。
高密度の魔力光が確認された。
一分も保たないだろうな。ヒバリが呟いた。
そして砲撃のため足を止めたなのはを見て、口の端をつり上げる。
「ジル」
なのはを指さして、
「あの子の真上に転送して」
「いいけど。何か思いついたの?」
「一度しか使えないけどね。そうだ、わたしが地面に着いたら結界を展開して出られなくする。いいね?」
ジルが頷く。
「今すぐやるよ」
そう言ってライプニッツを掲げた。
二〇〇六年七月二一日 流鳴
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