海鳴の市街でもっとも高いビルの屋上。大手清涼飲料水メーカーの看板がライトアップされて、夜の街に浮かんでいた。
看板の脇に緑色の貯水槽があり、その足下にはビル内に続く非常階段への扉があった。
屋上に設置された照明は全て看板のために存在するので、それらが人目につくことはほとんど無かった。
施錠が外れ、扉が開く。コンクリートに覆われた闇の中から、スポーツバッグを肩に下げた青年が姿を現わした。
照明の灯りを頼りに屋上の端へと至り、鉄柵に手をかけて足下をのぞき見た。
道行く人々の姿が豆粒のようで、眩暈を起こしてもおかしくない高さ。
見つめるうちに地面へ吸い込まれてしまうんじゃないか、と錯覚してしまう。酩酊感に似た自殺願望《ありえない感情》が頭をもたげて、錯覚が実感とならぬうちに香浦《かうら》誠《まこと》は足下から目を離した。
スポーツバッグを下ろすと、重い金属音がかち合った。看板に寄り添って腰を落着け、照明の熱をうっすらと感じた。
ファスナーを開いてバッグの中身を漁る。
手に取ったのは金属の筒――何かの部品。
胡座をかいて、その場に数十点に及ぶ部品を並べる。それらを組み合わせ、ものの十分とかからないうちにほぼ完成形に至る。
だが、二点の部品を残して青年は手を止め、山のある方角へと視線を移した。
すると、やおら風が吹き始め、徐々に風量を増していく。雲が不穏な色合いに染まり、空は膨大な光量によって艶やかに彩られていた。
目を戻し、残った部品の片方をはめこむと、双方が咬み合って微かな金属音が聞えたが、最後の一つ――球状の部品を掴んだところで再び手を止めた。
山上を移動しながら明滅する光。誰も気づいた様子はない。
山の周囲に張り巡らされた結界魔法によって光が遮断され、外界に漏れないようになっていた。通常空間から特定空間を切り取り、時間信号をずらす魔法が施されていたのである。
魔力を用いて干渉しない限り、結界内を覗くことができなかった。
「こいつで最後だが……」
誠は手の中の部品を見つめた。澄み切った青色に光る親指大の球。表面には無数の文字が浮かんでは消えていく。
誠は同期型デバイス《シンクロナイズ=デバイス》という名を思い浮かべた。
術者の意識に追従して、起動トリガーを意識するだけで魔法を行使する。ミッドチルダ式だが技術的には融合型デバイスから派生したもので、機能面に大きな違いはない。
融合型デバイスは文字通り術者と”融合”する。他の形式のデバイスを遥かに凌駕する感応速度や魔力量を得ることができる。
しかし、形態の特殊性ゆえに融合適性を持つ者は少なく、術者に合わせた微調整、適合検査の煩雑さ、そして何よりデバイスが術者を乗っ取って自律行動を始めてしまう”融合事故”の危険性や事故例により、製品化には至らなかった。
この同期型デバイスは融合事故を回避しながら、なおかつ汎用性を高めるべく研究開発されたもののひとつだった。
あわよくば第三のデバイスの座を、と開発陣は夢見たであろう。
だが、術者の意識を敏感に拾いすぎるため、実験中何度も魔法が暴発して周囲を危険にさらすこととなった。
実戦を想定していたため同期率を落とすわけにはいかず、意識に介入して魔法行使の可否を尋ねるようにしたのだが、それではストレージデバイスと速度的に大差ない。
結果、実験用に十二個だけ試作されたものの、計画頓挫によって廃棄が決定された。
誠が手にしているのは開発に携わったガトリング博士らが引き取ったものの一つである。
デバイス用の挿入口を開け、
(この溝にはめればおわりだ)
最後の部品を装着して初めて、自分が組み立てたものが暴力を具現化する道具であることを意識した。
全長二メートルに及ぶ、対戦車ライフルを彷彿させる姿形。
銃口を向けられてもなかなか痛みを想像できない武器。奇妙なことに、誠のライフルには弾倉やスコープの類が存在しなかった。
そして銃身の至る所にミッドチルダ文字が彫られ、魔力の漏洩を完全に遮断していたのである。
誠はそのまま何もせず看板にもたれかかって、おもむろに銀色のシガレットケースを取り出し紙タバコをくわえる。
彼はライトスモーカーだったが、戦闘の直前になると無性にニコチンを欲する癖があった。
吸って吐いて、何度も繰り返す。山上を金色と桜色、青や赤色が踊り跳ねていた。いつしか光の中にも踊り疲れて退場するものが現われた。
金色の光が、青色めがけて突進し、ひとつになった。
膨張し、収束していく光。傀儡兵が爆散し火炎の渦と化す。
それを目にした途端、頭の奥が疼いた。
同調していた意識にけたたましいノイズの嵐が吹き荒れ、しばらくして沈静化した。片腕をもがれたような喪失感に満たされ、視線を虚空《そら》へと移しながらゆっくりと煙を吐きだした。
脳裏に浮かんだのは一つの言葉。
EXECUTANT=消失《シグナル・ロスト》
そして哀愁。
「旦那よぉ」
タバコから口を離し、
「とうとう俺一人になっちまったじゃねえか」
嘲るように呟いていた。
火を踏み消し黒く煤けた吸い殻を、じっと見つめる。そして顔を上げて、銃口を金色と桜色や赤色が踊り跳ねる山へと向けた。
息を吸い、呪文を呟くと眼球に魔力が染み渡り視力が強化される。
優に成人男性一人分はあろうかという重量を支えながら、色とりどりの光を凝視した。
山上でのダンスはそろそろ終わりの頃合い。赤色の光が爆煙にまぎれて彼方へ消えて、桜色の光は突如として闇に覆い隠された。残ったのは金色。そして微かな光を見つけ、しばしの間呼吸を忘れてしまったかのように目を見開いた。
淡い青色。ヒバリ・ファティマ・ガトリングの魔力光である。
無事だったのか。
誠は一息吐き、この上ない喜色を浮かべていた。
しかし、再び金色の魔力光を見やった途端に引きつった歪な表情へと変貌した。
口をすぼめ、ゆっくりと息を吸った。
「ここはお嬢ちゃんが来るようなところじゃないんだぜ」
起動トリガーを意識して魔法を発動する。
ライフルの先端に環状魔法陣が現われ、デバイスが敵を認識し、圧搾魔力を外部へと押し出した。
魔法少女リリカルなのはA's After Story
――Puppet Manipulator――
7. intercept
「バルディッシュ!」
フェイトは宙に投げ出されながらデバイスの名を叫んでいた。傀儡兵に掴まれた瞬間から光を失った相棒は、再び牙を剥きながら呼びかけに男性的な電子音声で応えた。
『Sonic Sail』
即座に姿勢制御を行い、物理法則に従って落下していた彼女が地面に激突する危険を回避。そして木の幹へと着地して一気に高速軌道へ切り換える。
視線は真っ直ぐ。
ライプニッツを拾い上げた傀儡兵を捉えていた。
相手は脇目も振らず駆け出した。が、その背中には生存への強い気迫が発せられていた。
微弱な魔力反応だった。
擬似リンカーコアは余力のほとんどを使い尽くし、とうに防御魔法を貫通させる力は失せている。それにもかかわらず自らの防御すらままならないほど消耗した機械の身体から発せられる気迫は、人間のそれと変わらない。
かつてフェイトはプレシアの許へ向かうために、自分たちの前に立ち塞がる傀儡兵を破壊した。そこに良心が痛む余地など無かった。主命を遂行するしか能のない人形を壊して誰が悲しもうか。
幼い少女の視線が突き刺さる。
激しい怒りだ。
疲労で青ざめながらも、ジル・オートマンの瞳は暗い炎に満ちていた。
まるで肉親を殺したとでも言いたげな、純粋極まりない報復の意思。ジル自身は理解していなかったが、それは殺意の思念に等しい。
フェイトは面食らっていた。悪いことをしている意識はなかった。
彼女に課せられたのは、この世界に迷い込んだ少女を保護するという任務。おまけに物騒きわまりない違法傀儡兵の回収あるいは排除。なのはを自宅に招待してお泊まり会を開こうとした矢先、ゲート管理者からの出動依頼だった。
両親の知人の家に預けられており、遠足から帰る途中、武装した傀儡兵に囚われた女の子。
だから信頼する仲間《なのは》と共に救出に向かった。
それが、結果はどうだろう。まるで悪役じゃないか。
――貧乏くじを引かされた気分である。
傀儡兵との距離が徐々に狭められ、次いでバルディッシュが警告を発した。
『後方より高速弾が接近』
背後から無数の魔力弾がフェイトを追いすがる。
が、彼女は避けようともしない。誘導操作弾としてはアクセルシューターに比ぶべくもない虚仮威しだと看破していた。
もう少しでバルディッシュの間合いに入る。
「魔力弾接近……」
そう思ったとき、不意にエイミィの声が脳裏に響いた。
「わかってるよ」
フェイトは答える。ガイドシェルは高速直射弾並の速度に達したことで、球形から紡錘形に変形していた。彼女や傀儡兵を追い越し急速制動をかけながら方向転換、再び加速してフェイト目掛けて突進をはじめる。
とっさにスフィアを射出してフォトンランサーで迎撃。だが、射線上のガイドシェルは螺旋軌道や急激な失速を以てフォトンランサーをやり過ごした。
ここに来てフェイトは百発以上を同時制御する手腕に心を躍らせていた。プログラムで実現しているとは到底考えられない無茶苦茶な軌道。それを高速戦闘でやってのける胆力。
単発での威力は雀の涙でも、戦術次第では虚仮威しでなくなる可能性を秘めている。
「三時の方向――フェイトちゃん、避けて!」
しかし、エイミィの叫び声が脳髄を駆けめぐり、思考を遮断した。
ガイドシェルとは比べものにならない――硬質の殺意に全身の血脈が沸き上がった。結界を貫通した弾丸が横っ面を引っぱたこうと、熱赤外線の渦を生み出しながら突き進む!
目視する余裕はない。
フェイトは、弾丸の餌食から免れようとガイドシェルの包囲網へ自ら突っ込み、被弾しながらも弾丸をやり過ごした。
防御魔法に体当たりして、原形を保つことができなくなった誘導弾《ガイドシェル》は蒸気となって、大気中に霧散する。すでにその半数が光を失っていた。
結界に第二撃が突き刺さる。大気を歪め、捻り切った。
破裂。結界が貫かれた音。
「結界の外……アウトレンジからの攻撃!」
迫り来る弾丸に正対し、デバイスを振り上げた。
「行くよ、バルディッシュ」
叩き落とす!
主の意思に応えたバルディッシュが咆哮を上げ、刃はまばゆいばかりの閃光と化した。
■
「うっへえ」
バルディッシュによる斬撃は、高速弾《ガンズイーター》をものともせず引き裂いた。真っ二つに割かれた弾丸は推力を失いながら地面に落下していく。
「叩っ斬りやがったよ、あのお嬢ちゃん」
予想だにしない対応に毒気を抜かれた誠は口笛を吹いてフェイトの技量、思い切りの良さに感心していた。
己の腕によほど自身がなければ高速弾を斬る、といった選択は不可能なのである。
「戦い馴れしてやがら。どいつもこいつも、魔導師ってのは化け物ばかりかよ」
誠は苦笑いを浮かべ、忌々しげに舌打ちした。
幸か不幸か、彼の知る魔導師たちは怪物に匹敵する者ばかりだった。その多くは魔法という暴力の塊に取り憑かれて身を滅ぼしていった、追われる側の人間たち。
魔法は人間の力を無限大に増幅する道具。使い方を誤れば、鉄屑か肉塊のどちらかに変貌するのだ。
「管理局ってのは子供の手を借りなきゃならねえほど、人手不足なのか」
ずば抜けた視力を発揮し、フェイトの顔の細かな造型までも観察した。
おそらくは十歳ぐらいだろうか。同じ年頃の子供たちの姿を思い浮かべると、誠は奥歯を強く噛みしめながら呪詛のように言葉を紡ぐ。
「――外見に騙されるな」
彼の雇用主である、レミングス・ハミルトンから教わった文句。
「魔法を使う奴は女だろうが子供だろうが必ず倒せ《デストロイ》。愛する都市《まち》を吹っ飛ばされたくなかったら見敵必殺《サーチアンデストロイ》」
悪趣味で剣呑としている。この後、低俗下劣な文句がこれでもかと散りばめられていることを思い出し、途中で口をつぐんだ。
第三撃を行うため目標《フェイト》に集中する。この瞬間、相対する相手が”子供”である事実は問題にならなくなった。物言わぬ機械と同質の存在となり、彼が視界に収めた魔導師はレミングスの歌が語るとおり撃たねばならない。
フェイトの視線は、魔力弾が飛来した方角に向けられていた。
誠の攻撃を警戒する真剣な表情だが射撃点を特定した様子はなく、彼女は一瞬だけ逃亡者から注意を逸らしてしまったのである。
この時点で、香浦誠の目的は達成されたと言える。フェイトの視線を引きつけること、そしてベネジェットの孫娘とジルを逃れさせることを目的としていた。
「まだ退くわけにはいかねえよ」
魔法の目が自分を探査している、身を焦がすような感覚に襲われながら誠は再び奥歯を噛みしめた。
残るは時間稼ぎをするだけだった。
『発射体《アクスフィア》生成《オープン》。照準精査《エイム》――鎖交射撃《クロスシフト》』
意思を明確にした誠に対するデバイスの返答。二基の発射体《スフィア》を生成。正四面体を象った発射体の各頂点に一つずつ魔法陣が描かれる。
『射撃《ターン》・射撃《ターン》・射撃《ターン》』
一撃放つたびに魔法陣が光を失う。
人間には聞えない周波数の唸り声を聞きつけた街中の動物たちが、一斉に目を覚まし騒ぎ立てた。
喧噪の中、結界を貫通した魔力弾がフェイトに向かって突き進む。
『射撃《ターン》・射撃《ターン》・射撃《ターン》』
誠はできるだけ長い時間注意を引きつけるつもりだった。が、頭上に視線を感じライフルを担ぎ上げながら虚空を見上げた。
『射撃《ターン》・射撃《ターン》』
複数の視線。そして雨が降り出す。
弾道探査が完了したのだと直感し、発射体が三つ目の魔法陣を消費するのと同時に踵を返していた。
スポーツバッグを引っ掴み、馬鹿でかいライフルを片手に看板の反対側へと回り込むと、柵に飛び乗るや背後の視線に向けて、これ見よがしに中指を突立てた。
天を突く――男性の象徴《シンボル》を意図。世界共通の作法。揺れるスポーツバッグ。モニター越しに絶句するエイミィ。
『射撃《ターン》・射撃《ターン》』
四つ目の魔法陣が消失。沈黙した発射体は鎮座したまま正四面体を維持しているが徐々に内部結合が破壊され、魔力を外部に放出していった。
発射体の魔力反応が増大し、これに対して誠の反応は感知が困難なほど微々たるものだった。
僅かに重心をかかとへ移し、ゆっくりと後ろへ倒れ込んだ。そのまま虚空に身を投げ出すと、全身から無数のミッドチルダ文字が浮かび上がり、誠の姿を覆い隠していった。
記
シンクロナイズ・デバイス
融合型デバイスの派生品。ミッド式。開発競争から脱落した無数のデバイス群のひとつ。
形状は球体。
ガンズイーター
guns eater
殺傷性を持った高速直射弾。結界貫通能力を有す。
アクスフィア
axis-sphere
発射体を生成する魔法。正四面体を象っており各頂点に一つずつ魔法陣が生成される。
最大四種類の異なる魔法を使用できるが、一つの魔法陣につき一度限りである。
魔法陣を消費し尽くすと、形状を保持しながらも内部の破壊が進行し魔力を放出していく。完全に魔力を放出すると自動消滅する。
クロスシフト
cross shift
単一目標に対してデバイス及び複数の発射体による射撃を行う。弾丸が一点で鎖交することから命名された。汎用魔法に属し、マルチショットの一種に分類される。
第七話のサブタイトルは予告と違って「妨害(intercept)」。
機動力に勝るフェイトがなぜヒバリたちの逃亡を許してしまったのか、というお話です。
次回もよろしくお願いします。
二〇〇七年五月一日 流鳴
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